目標が定まった仲村は本来持ち合わせていた職人気質も手伝って、豆腐造りも順調に進んでいた。
しかし、仲村は大きな悩みを抱えていた。 それは早くから芽生えた経営者としての自覚だった。
本物の味は絶対出来る。
その自信はあったがそれを売り込むための力がない、そう感じたのだ。
仲村は即行動に出た。 「営業力」を高めるため、当時から製造はもちろん営業評価の高かった沖縄トヨタに就職したのだ。
職人気質の仲村が自営を決意できる営業力を得るまで5年を要したが、この経験は「なかむら食品」が県内唯一の沖縄豆腐自動製造ラインを成功させる原動力となる。
トヨタを退職した仲村は、豆腐造りに専念する前、さらに大きな課題に取り組んだ。
それは「売り方」である。 営業経験を得た仲村は、その中で販売促進の重要性を知った。 陳列される商品を手に取る顧客の心理は様々、食べて頂くためには買って頂かなくてはならない。 淘汰される豆腐業界に革新的な風を吹き込むには、そのような当然の事であっても専門的に取り組み、習得する必要性を感じたのである。
迷いはなかった。 幾つかの代理店を経験し、自営の心得と販売戦略を体で覚えた。
そして昭和59年、仲村40歳の時「なかむら食品」を創業 職人仲村正雄の誕生の年でもあった。 |